生駒西麓

生駒西麓

生駒西麓とは

 古代人が真っ先に住み着き始めたであろう、山・川・平野・水辺とそろう気候温暖な場所。そんな条件をそろえていたのが、河内湾・河内湖の水際、つまり生駒山地の西側「生駒西麓」という地域だったと思われます。そこはまた、古代より大陸文化の取り入れ口でもありました。難波、古代王権を成立させた大和はよく研究されていますが、それらとの中継点であった「生駒西麓」は、地域全体として取り上げられることはなかったように思います。

 私は南河内に生まれ、そこで長らく暮らしてきましたが、その河内とはいかなる場所か、その発祥の意味を知りたいと、いつからか考えるようになりました。そのためには文字で伝える歴史時代以前、弥生期から古墳時代という古代に生きた人々の暮らし、活動の中にこそ、この土地の持つ意味を見出せるのでないかと。そのような興味のありようから、河内の成り立ちの原点ともいえる、河内湾・湖のほとり、「生駒西麓」が重要な意味を持つ場所ではないかと考えるわけです。「生駒西麓」は、私の住まいから地続きの地であり、我が家から遠望もできる身近な歴史舞台です。何度も行きつ戻りつし、歩き、調べてきましたが、そのような中でアイデアを思いつき、歴史解釈への新しい視点も着想しました。そして、歩きながら考えることの面白さを何度も体験させてくれました。

 今回、12回のシリーズをもって、龍田大社から始まり寝屋川の石宝殿古墳まで、「生駒西麓」を南から北へ、ある時は生駒山を越えて大和へと足を延ばしたりと、できる限り多様な場所と、現代につながる視点ももちながら、「生駒西麓」の歴史的意味を紡ぎだそうとしています。ともかく一歩ずつ歩くことから始め、それぞれの場所がもつ古代のイメージを写真・動画とともに記しています。知っているようで知らない「生駒西麓」に、何か新しい発見が付け加えることができるなら、これ以上の喜びはありません。 (きたつじ みのる)

<もくじ>

1.竜田越え  2.河内六大寺  3.恩智  4.高安  5.高安山―信貴山 6.三野県主と生駒西麓の古墳  7.八尾デルタ・・・物部氏の跡を訪ねて  8.十三峠越え・・・平群~十三峠~神立  9.瓢箪山から日下、河内湖の汀線を歩く 10.河内〜奈良・西ノ京・・・暗峠越・国道308号線に沿って  11.生駒越え・・・石切~生駒遊園~生駒聖天  12.河内湖北東岸を巡る・・・飯盛山〜四條畷〜寝屋川  

投稿者:

phk48176

古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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