渋河道を探る④二俣~柏原

これからは玉串川と長瀬川に分かれる前の大和川本流を探検。大和川の左岸と右岸を行ったり来たりして、河川敷の土地利用、堤防沿いの旧奈良街道、柏原の町の様子など、古代と現代の時間軸もまたいで古代大和川を体感しながら歩く。渋河道の終着点では、船橋廃寺や聖武天皇も渡っただろう河内大橋を風景の中に想像する。

渋河道を探る③八尾~二俣

Urban canal lock with brick walls, railings, and churning water between gates; a pedestrian walkway on the right.

渋河道は、四天王寺から渋川廃寺までは斜交道とされる直線の道だった。八尾からは旧大和川の本流とされる久宝寺川左岸の堤防沿いの道となる。何度も氾濫を繰り返してきた大和川に沿う道は、定まったものではなかっただろう。そんな渋河道を八尾から、長瀬川と玉串川に分かれる二俣まで歩く。

富田林背斜をたどって①(喜志~新堂)

梅の里下の羽曳野撓曲から180m東から富田林背斜という急崖地形が始まる。昭和30年代からの住宅開発は背斜地形の上に乗り、平地とはかさ高い擁壁で区切られる。この急崖地形は神社や古墳などの古代遺跡の宝庫でもあり、新堂廃寺跡やお亀石古墳などを巡り、南河内の渡来人の果たす役割が大きかったことを考える。

撓曲崖の上を街道が通る

羽曳野撓曲上にある葛井寺南大門から南進する古市街道の東側は3mの撓曲崖があり、その上に仲哀天皇陵が乗る。撓曲線は中ノ池の堤に4~5mの荒々しい崖を作り、さらに仁賢天皇陵のど真ん中に当たる。その上の羽曳野丘陵東端を竹内街道は南へと進む。撓曲崖の上の安定した台地を街道が走ることを探っていく。