MY 古代史探検

歩いて歩いて、古代史新発見。

 私は大阪府羽曳野市に住まいします北辻稔(きたつじみのる)と申します。日本の古代史、特に弥生時代から古墳時代に興味があり、古墳を始めとするさまざまな史跡、古街道などを歩き巡っています。近所に古市古墳群があり、二上山の麓を伝っていけば大和にも歩いて行くことができます。歴史の本や資料を数多く読んできましたが、自分の足元に日本古代史の表舞台が広がっているのです。日常空間と地続きにある歴史空間を私なりの視点で見つめ直すのは面白いのではないか、そんなことに気づいたのです。

 まず、古代人が真っ先に住み着き始めたであろう、河内湾・河内湖の水際、つまり生駒山地の西側「生駒西麓」とはどのような場所であっただろうか、に興味が募ります。大陸文化の取り入れ口であった難波、古代王権を成立させた大和はよく研究されていますが、それらとの中継点であった「生駒西麓」は、部分的には知られていても、一体として取り上げられることはなかったように思います。

 奈良県の葛城地方は、葛城一族により治められ、大和政権成立以前から栄えた実り豊かな地域であったと言われています。欠史7代天皇の実在性はともかく、金剛・葛城の東麓に広がる雄大な風景の中に、神代のころから伝わるたくさんの不思議が発見できます。

 さらに石清水八幡から生駒西麓、石川沿いを通り河内長野まで行く「東高野街道を歩く」、取水口である石川・河南橋から新町・西浦、白鳥陵、多くのため池を繋ぎ、高鷲から津堂まで、その流れを追う「古市大溝を探る」、倭の五王の時代のもう一つの大陸への玄関口であった紀州和歌山と淡輪を訪ねる「紀氏の跡を巡る」、羽曳野丘陵西側の地形に沿って流れる「東除川を探検する」、「雄略以後ー河内から飛鳥への道」をたどるなど、私の身近な古代史を次々と探検しています。

 「生駒西麓」「葛城」そして「大和」は、私の住まいから川や山を越えて行く地続きの地であり、私の身近な歴史舞台です。何度も行きつ戻りつし、丹念に歩き続ける。そのような中でアイデアを思いつき、古代史解釈への新たな視点も着想しました。一歩ずつ歩くことから始めた、を写真・動画とともに記していきたいと思います。(古代史探検家・きたつじみのる)