④王水川をたどる

 ④王水川をたどる 津堂の港は、東西南北の水陸結節点で、河内と各地がつながる河川交通の要衝だったとして、東から流れ込む水路はどのように続いているのか。恐らく石川から取水されるであろう水源を確かめるため、東南方・応神天皇陵をめざして、津堂から石川まで、王水川と呼ばれる水路をたどりながら探検して行こうと思う。

王水川想定水路地図

小学校の地下を流れる

 藤井寺市立北小学校の正面に突き刺さるように幅広の水路が北から南に真っ直ぐ付いている。小学校沿いには水路らしきものが見当たらないので、果たして学校敷地の地下を流れているのか?地図を見ると正にそうで、校庭で一度消えて運動場南側から再び現れている。太い水路は西に向きを変え、すぐ南に向かう。これは長尾街道沿いにあった自動車教習所と新興団地の間を真っ直ぐ伸びる、近年に改修したあの水路に違いない。

 私が求めているのは、これではなく東南からの水路で、大船児童公園の西側を流れる水路がそれだろう。こんな所にも水運と関係する「大船」という字名が残っている。水路は田んぼの縁を縫いながら緩くカーブをして南東方に伸びている。水路縁のあぜ道を恐る恐る行くと、ひょこっと古い街並みが残る道筋に出る。長尾街道である。

長尾街道に沿って

 しばらく行くと、脇道に外れ住宅の裏側を流れるようになり、その先の工事中の敷地に隠れてしまう。かなり大きな規模の敷地で、南側に大きく迂回しなけれならない。ここはあの粘着テープのニチバンの元大阪工場で、北側を長尾街道が走り、敷地内を水路が通っていたのである。いずれはマンションが建つのだろうが、藤井寺駅にも近く人気物件になるだろう。かなりの遠回りをしたので水路を見失ってしまいそうになるが、東に行くとまた南北に走る長尾街道に入り、少し北に行くと道を横切る川の流れが見つかる。この道は藤井寺の商店街につながり、駅前まで行く。この辺りに友達がいたこともあり、若い頃よく行き来したものだ。もう60年以上も前になるが、近在の繁華街といえば、富田林、古市とこの藤井寺ぐらいで、たまに親に連れて行かれると、何だか華やかで町に来たという感じで嬉しかったものだ。

水辺の遊歩道

 昔ながらの旧家もいくつか残り、カフェや雑貨屋か何か、こじゃれたお店にイノベされていたりする。水路は細いが昔からのものでちゃんと水も流れている。水路沿いは建て込み、また南へ迂回して、藤井寺小学校や市民会館の方まで行くことになる。そこから少し降ると、何と先ほどからの水路が見事につながって、両側に歩道も付いてきれいな水辺の散歩道に整備されている。どこまで遡れるか北方に歩くと、市民会館の北側土手の下をカーブを描きながら続いており、少し太くなった所で西、北の二手に分かれている。北への水路は津堂城山古墳へ流れて行くのだろう。また戻り、ずんずん南方へ遊歩道を行くと、幅も広がり川を覆うように大きな木も植っていて、ちょっと素敵な川情緒を醸し出している。近くには藤井寺市役所があり、その周辺が美しく景観整備されているのである。藤井寺では王水川(おうずいかわ)と呼ばれ、灌漑用水路として改修されてきた。

藤井寺市役所付近の水辺の散歩道。

応神天皇陵へ

 さらに南下すると、近鉄線の踏切に当たり、下のトンネルに潜り保健所の東側に出る。この辺りは何度も行き来し見慣れた風景だが、川が流れているとは思わなかった。さらに旧170号をくぐり、大きな川幅となってさくら町という住宅地を斜めに横切ることになる。桜の木が川沿いに並木を作っており、なかなか良い。東側を眺めると、こんもりした森、そうだ、あれが応神天皇陵なのだ。  

 と、どこかでみた道路景観。いつも通る外環状線ではないか。家の近くにできるまではよく行ったコーナン、今も健在だ。その手前の横断歩道のところで水路は潜り、コーナン前の旧170号線へのバイパス沿いに伸びる。そしてまた道を潜り、コーナン駐車場横に出て、応神陵外濠外周に回って、後円部外周の水路に至る。水量も豊かな清らかな水が滔々と流れている。今は灌漑用水だが、古代では外濠の水を供給していたに違いない。

応神天皇陵を取り巻く水路

 この水の流れの元を探して誉田保育園の入り口に来たが、建物の地下から勢いよく流れ出てくる水がある。園の中には入れないので、南側へ遠回りして誉田八幡神宮に入る。ここは我が家の準氏神様みたいなもので、正月にはほぼ、近くに来た時は立ち寄るといった程度だが、なぜか親しくしてもらっている。祠の前で一礼して境内を横切り応神陵の後円部、石橋前へ。祭りの時はこの半円状の急峻な太鼓橋を神輿が難儀しながら渡されるとか、この橋が聖俗を隔てる境となる。ということは下に川が流れているのであって、先ほどの保育園から出てきた水はこの水路を通ってくるのだ。ここでは穏やかな流れだった。

 さらに上流を見つけながら行くと、後円部外周に沿いながら東へと伸びる。神社駐車場縁から畑の間を行き、民家の端から誉田八幡宮の東側を通る東高野街道を横切る。そこそこの水量で絶え間なく流れている、ということは、水源は川。そう、石川から取水しているということだな。水源の目星がついて一安心だが、この辺りの標高が25m程度で古市付近の石川も25m以上あるというになる。石川取水口をめざして再出発。

碓井の平原を行く

 住宅街の中を流れる水路に石橋を架け家の入り口としている。なんとなくのどかな風景、と見ると川中で何か洗っている人がいる。近づいて見ると植木鉢の泥を洗い落としているようだ。ちょっとした洗い物、植木や道面の遣り水にしたり、利用価値は高そうだ。

近鉄南大阪線の踏切、南へ行けばすぐ古市駅。

 旧170号を越えると畑地になり、その間をうねりながら伸びている。稲刈りをした田んぼの脇を音もなく流れる水路。縁に木もなく柵もなく、ただ水を流すだけの機能しか持ち合わしていない水路は、それだけで美しい。彼方に石川の土手、生駒の山々が見え、広々とした平原を水路がうねうね通る風景は、古代から変わらないものだろう。今は田畑を分け、近鉄線が南北に通り、時折電車が警笛を鳴らし通り過ぎる。碓井(うすい)の集落に近づくと、近年羽曳野名産とされるイチジクの畑が増えてくる。皮が薄く甘みのあるウスイエンドウ豆は全国的に知られているが、この碓井が元々の産地であり、イチジクよりもっと知られてもよいのだが……。

大乗川から取水

 石川の堤防が間近に見えてくると、水門らしい装置があるのだが、錆びて今は使われていなさそう。道路を渡ると川の土手に大きな水門装置があり、危険防止の鉄格子下を見ると水が轟々とながれている。ここが石川からの取水口・王水樋と言われるものだ。取水口の川は石川の本流ではなく、南から石川に流れ込む川、つまり大乗川が流入する川筋なのだ。

 大乗川は石川の河南橋付近を取水口とする古市大溝の中ほど、新町井関から北流する川で、本来真っ直ぐ応神陵の外濠に流れ込んでいたが、その流れが急なもので外壕を大きく侵食し水害をもたらすこともあった。そのため古市・安閑天皇陵辺りで東に付け替えられ、そのまま石川に流れ込むようにした。その代わり、応神陵外濠へは新たに堀を開削し、王水樋から流れ込むように付け替え、浸水被害を逃れさせたという。今回訪ねた王水川は付け替え後の大乗川から取水されている。となると、大乗川の探検をしたくなる。次回としたい。 (探検日2021.9.23/10.17)

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phk48176

古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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