①石清水八幡宮〜八角堂

八幡市内の街道をゆく

 正月明けの良い天気の日、初詣も兼ねて、石清水八幡宮にお参りする。地形的には生駒山地の最北端から飛び出したような盛り上がりが男山。そんな山に沿いながら南へ進み、生駒山地を横断することになる。まずは町家やお店を見ても京の雰囲気が漂う八幡市内の街道をゆく。

石清水八幡宮

 ケーブル山上駅を降り山道を登ると社殿があるのだが、手前の広場にハードエッジの抽象彫刻か?と思える塔が立っている。八幡宮が国宝に指定され財宝はたくさんあるのだろうが、古式の中にあってこのモダンが一際目立つ。調べると、昔あった中塔の跡に「涌峯塔」が建てられた。陶芸家であり現代彫刻家でもある清水九兵衛氏の設計で、給水塔も兼ねた高さ18.3mもあるモニュメンタルな造形だ。

 石清水八幡宮は応神天皇を祭る合戦の神さんで、宇佐八幡宮と同様、八幡造という朱に塗られた楼門がそそり立っている。戦いに勝つぞ、という意気込みと厳しさがあってカッコ良い。ここは京の都の守り神なので手厚く保護されてきた。境内から下り北側へ回ると、それこそ京を一望できる展望台があり、天王山の大山崎がすぐそこに見える。天王山と男山でキュッと絞り、桂川、宇治川、木津川の三川が合流しているのが手に取るようにわかる。古代地形がそのまま残り、戦いの要衝中の要衝という雰囲気だ。

いざ!東高野街道へ

 ケーブルカーで下り駅まで戻り、いよいよ東高野街道探検の始まり。京阪電車の踏切を渡る道を南へ行くのが東高野街道で、京からの道とつながる。今は宇治川、木津川に架かる御幸橋を渡って京都へ行けるが、この辺りは三川合流地で川の氾濫も激しく、橋は何度も架け替えられたり、渡し船でも行き来していたと思われる。街道の東側を流れるのが、毎年9月の石清水祭には魚が放たれる放生川でもある大谷川で、川沿いに遊歩道が整備されている。気持ち良く歩いていると、太鼓橋で復元された安吾橋が見えるが、町中に入るにはこの橋を渡って行く。

 街道沿いにある山の井戸の水で刀打ちをしていると神が降臨したという言い伝えのある相槌神社前を左折する。途中、この町の文化人・松花堂昭乗の墓があり、茶席「閑雲軒」を再現保存する泰勝寺前を通る。出格子のある京町家、白壁の蔵などがある落ち着いた町並みの中をゆったり歩く。

歴史を大事にする町

 先ほどの相槌神社は裏山の崖崩れの恐れがあるということで今は別所にある。また馬場町では、老朽化などのため稲荷社や地蔵堂などを移転、それらの三つの神を合祀し、数年前の地震で脱落した鳥居も修復している。これらの経費を町会の人達の寄付で賄い、小さいながらも祠を建て祭っている。相槌神社もそうだが、町の歴史を大切に守ろうとする切なる思いが伝わる。車が次々通るような道路脇にあるのだが、この町には隣近所が通じ合っているのを感じて、何か優しい気持ちになる。  

 少し行くと「寝物語古跡国分橋の碑」が道端に立っており、これは何の碑か?女房を取り合いしたとか、そのような痴話喧嘩とも思ったが、そうではなさそう。綴喜と久世の国境界を決める立ち合いの日に寝込んでしまい領域が減ったという説話が伝わり、この辺りに国を分ける橋が架かっていたという。

普通の町を街道が通る

 神原の交差点を越え、街道は南へとまっすぐに伸び、八幡宮から遠ざかるに連れ男山がだんだん小さくなっていく。清水井、岸本、松原などという町名が続き、どこにでもある町並みに見えるが、道がわずかに右、左にうねりながら伸びるのは古街道だからだ。

 街道中ほどの精肉店の角に「左 京街道 鳥羽三里 淀一里半‥‥」とあり、大坂から淀川堤を淀へと至る京街道沿いの町までの距離を書いた里程標の碑がある。これは、京都の織物商三宅安兵衛氏の遺志を受けて昭和2年に建てられた、いわゆる三宅碑と呼ばれるものだ。今まで見てきたこの辺りの道標はほとんど三宅碑だという。

八角堂

 松花堂庭園辺りに近づくと道が二股に分かれている。自然な曲がり方からいうと右の細い道の方だが、やはりそうだった。二股に立つ「水月庵」の碑を見てしばらく行くと右に石段が見え、上り口に「八角堂」とある。

 石段から丘の頂地に登ると、真新しい真っ赤なお堂が現れる。元は石清水八幡宮の境内地にあったものだが、明治の神仏分離令により移築された。しかし、この丸い丘は自然地形とも見えず、もしや古墳?裏側に回ると完全に剃り落とされているが北方に方墳のような形がくっ付いている。果たして八角堂は前方後円墳の後円部に建てられたものだった。古墳時代前期、4世紀の築造の西車塚古墳という。本日初めての古墳との出合いだった。(探検日:2023.1.8)

投稿者:

phk48176

古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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