西へ西へと出雲に向かう
羽曳野市の自宅を8時過ぎに出発して、南阪奈道、阪和道、近畿道、中国道、米子道を経由して350km、米子で高速を降り、安来に着いたらすでに1時を過ぎていた。5時間かかったわけだが、年老いてきたのか、1時間もハンドルを握っているとすっかり疲れ、目もしょぼしょぼ。途中で何回も休憩して、やっとこさ来たという感じだ。
さて、まずは出雲の東の入り口、安来市荒島町「古代出雲王陵の丘」造山公園へ。いきなり出雲の源流を訪ねようとするものだ。

左は安来市の古墳公園地図看板、右の楕円内は「古代出雲王陵の丘」を示す。
四隅突出型墳丘
出雲の王の起源から言うと弥生期の古墳、四隅突出型墳丘墓から入るべきで、造山古墳の南東2kmのところに宮山4号墳、仲仙寺8・9号墳などがそれで、いずれも弥生時代後期の築造とされている。中国山地が中海まで伸びる山裾に築かれ、中海に流れ込む飯梨川が作る扇状地に広がる安来の平野を見下ろす丘陵地上にある。今回は限られた時間の旅で、仲仙寺までは回れなく、四隅突出型墳丘墓については、斐伊川沿いの出雲弥生の森・西谷墳墓群でたっぷり見ようと思う。
造山古墳群
1段目左は北側から見た造山公園全景、右は頂へのアプローチ。
造山1号墳は全国最大規模の1辺60mの大方墳で、古墳時代の4世紀の築造、2段築成で竪穴石室を持つ。今は樹木が多い、立ち入りは難しいが遠くからでも独立した方墳の姿が見て取れる。造山3号墳は1号墳に続く4世紀のもので、30m×38mの方墳だが、南西方面に突き出す形の山陵となっている。あの太い尻尾はキツネに間違いなかろう、尾根道から墳丘に近づくと、さっと逃げて行った。
1段目左、右上は方墳の造山1号墳、1段目右下はキツネが現れた造山3号墳、2段目も方墳の3号墳。
造山2号墳は墳長50m、方墳が二つ並んだような前方後方墳で、標高50mを超える最も高い位置に占め、6世紀前半の築造とされる。ここには4世紀から6世紀の古墳時代を通じて代々の首長クラスの墳墓が作られていった。墳丘上から中海やその彼方の島根半島の山並みが見渡せる。この雄大な景色を前に、一時出雲の王者になった気分になれて、爽快だった。眼下には、山陰線を2両連結の電車がゆっくり走っていた。

1段目、2段目は前方後方墳の造山2号墳、1段目上は山陰本線、下はは3号墳。
「古代出雲王陵の丘」荒島古墳群
弥生期後半の四隅突出型の仲仙寺、宮山や塩津山の墳墓群、古墳時代に入って、造山や単独の大型方墳の大成古墳など、数多くの墳墓が荒島の丘陵地に造られている。それらは、この地域を統治していく代々の首長に関わる墳墓であり、この地はその名にふさわしく「古代出雲王陵の丘」と言える。古墳時代に入り大和を中心に全国的に前方後円墳が優位を占める中で、弥生時代の墳丘墓の伝統を受けて方墳や前方後方墳の築造を続けていることに、大和政権と一定の距離を保つ出雲の権力者としての特異性があるとみてとれるのである。
揖夜神社
もう2時を過ぎてしまった。次は「八雲立つ風土記の丘」という全出雲の統治に向かう意宇王の本拠に向かおうとするが、ちょっと寄り道。その名前にひかれて揖夜(いや)神社へと……。

左は山陰本線を走る特急やくも、右は「古代出雲の王陵の丘」と「意宇王の本拠地」のイメージした範囲を示す。
出雲神話における黄泉国と現世の境にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)」の伝承地とされる 「伊賦夜坂 (いふやざか)」が転化し、揖夜(いや)になったとされるが、何か神秘性のある名前だ。白村江の戦い(671年)以前、朝鮮半島の政情が不安定な時期、斉明天皇は出雲の「神の宮」(杵築宮)修理の命令を出雲国造に出す。国造は東出雲の意宇にも動員を指令するが、意宇の民は抵抗し、犬や死人の腕を揖夜神社に置いたという。そんな言い伝えにあるような不穏なムードもあるのだろうかと訪れてみた。
1段目は、揖夜神社石鳥居、右上は亀趺のある石灯籠。下は広々とした神社境内。
大きな石鳥居の両側に石灯籠があるが、亀が台になっている。亀趺(きふ)と呼ばれるもので、亀のような生き物は贔屓(ひいき)といい、亀を引くと灯籠が倒れるところから「ひいきの引き倒し」の語源になっている。立派なしめ縄のある門をくぐるとだだっ広いとも言える何もない境内で、東側の標高20m程度の山陵を後背に拝殿と大社造りの神殿が構えている。神殿の向かい側の境内には荒神社と大蛇神があり、しめ縄が結界をつくり、縄で編んだ龍がとぐろを巻き、地面にはたくさんの御幣が刺さっている。何か古来からの祭り方をしているようで原始性を感じる。神々しさはなく、素朴というか、ちょっとほったらかされ感のある神社空間だ。意宇六大社の一つで、意宇国の東の守りを固める重要な神社とされる。
1段目左は拝殿、右上は本殿。その下と2段目はは荒神社と大蛇神。
連休明けに行った出雲の旅、「古代出雲の源流を訪ねる」というたいそうな題を付けた。出雲から帰って来て2週間たつが、やっとブログの2回目「古代出雲王陵の丘」(荒島古墳群・造山古墳)のレポートを公開しました。まだまだ3回、4回・・・と続きますが、記憶が薄れる中、奮闘しなければならない。皆さん、気長にお待ちください。