ウィキペディアでは、東除川は狭山池から流出し、堺市、羽曳野市、松原市を貫通し、大和川に合流するとあるが、それは狭山池ができてからのことである。慶長年間の狭山池改修により東除口が開かれ、洪水時にそこから流れ出す水を受けるようになってから東除(よけ)川と名付けられた。排水のための川で、洪水を除けるという機能を名称にしていて、同様に狭山池の西除口から排水する川を西除川という。しかし、古代からの水源地は狭山池ではなく、さらに上の方にあるはずだ。

左:慶長時代の狭山池の改修図 右上:狭山池東樋(いずれも狭山池博物館図録より)
羽曳野市史には、太古からの東除川は「羽曳野丘陵の南端に近い廿山(つづやま)付近に源を発し、羽曳野丘陵西斜面から流れ下る小さな支流を集めて島泉に至り、さらに北に流れて、大阪市平野区平野付近で旧大和川の有力な分流に注いでいた」とある。元々は水源地辺りを名称にした廿山川と呼ばれていたという。この記載に基づいて、まずは、水源地とされる廿山をめざそう。
廿山から津々山台へ
グーグル地図では、廿山と寺池台の間の谷筋の途中で水路が切れているのだが、まさかそんなところが水源なはずはなかろう、とまずはG地図の水源地の調査に出かける。廿山は「つづやま」と読む旧村だが、読みが同 じ津々山台という名称にして、近年急速に宅地開発が進む。起伏の多い山地全体で開発が進んでいることが地図上から見て取れる。
よく晴れた日の朝、近鉄河内長野線の電車に乗り川西駅まで行く。以前、東高野街道探検で歩いたところだが、再び駅のガード下から歩き出す。緩やかに曲がる街道を歩き、国道309号線に架かる歩道橋を渡り、側道を西へ。さらに外環状線(国道170号線)を越え、津々山台住宅の崖下に行き着く。この急坂を登ると津々山台3号公園があり、そこから金剛・葛城の山並みが一望できる。

右上から:近鉄・川西駅、東高野街道沿いの家 下左から:国道309号線、津々山台の東端部、3号公園から葛城・金剛を見る、津々山台住宅街
住宅街の中を西方に進むと左へ曲がる下りの急坂に繋がるが、この道が住宅街への侵入路に当たるようだ。
新興住宅が旧村を飲み込む
坂を下った谷筋には昔からの道が付いていて、これがずうっと坂道で沿道には昔風の立派な家が並ぶ。つまり旧の廿山集落だが、坂を登り切ったところに集会所や保育園などがある。その辺りから南方を見ると、住宅の裏には造成地が広がり、新興住宅が旧村を飲み込むような勢いで迫ってくる。剥き出しの土も荒々しい造成地の中を下っていくと、G地図にあった寺池台との境界を流れる水路に出る。水路脇には、そこだけが取り残されたように、伸び放題の枝を伸ばす木がぽつんと立っていた。

上3枚:廿山集落の風景 下左:工事が進む造成地 下右:元々の木が残る旧道
水路は谷底に細々と続く
下の方から水路が伸びてきて、Gマップ通りにピタッと流れが途切れている。しかし、よく見るとコンクリ壁の下に穴が空いていて、そこからチョロチョロと水が出ている。ということは、暗渠になっているものの、まだ先に水源があるということだ。カシミールの拡大地図をよく見ると、細い線で、途切れ途切れながら水の流れを描いているではないか。その線は、寺池台の住宅地の縁に沿って、谷の一番低い所を繋いだ線のようだ。谷に沿って住宅街の一本内側の道路を上っていくと、谷筋の形に合わすように細長い大きなマンションが建っている。そこへの橋が谷を跨ぐ形で架かっていて、橋上から見ると、谷底と見られる縁に沿って水路が付いている。カシミールの線はこれだった。


上左・右:廿山の谷沿いを流れる水路 同右下:Gマップの水路の最終地 下左から:さらに上のマンション、マンションから見える水路、山側にも水路が続く
造成地は水源地の谷を埋める
マンション敷地が途切れたところで谷が埋められ、10m以上の高さに造成地ができている。また住宅街の中の道に戻りさらに上ると、道に沿って並ぶ住宅の裏側に廿山からの造成地が見える。これは下から続く谷を埋められてできた造成地だが、その端に行くと、谷底からまっすぐ立つ長大な下水管が現れてきた。元々の水路を下水道にして雨水を流そうとするのか、造成地上を通るU字溝と繋げている。造成の前には谷底を流れる水路に沿って車も通れるような道が付いていたようで、これらの道や水路も含めて完全に埋めてしまおうという造成工事なのだ。
上左:造成地に現れたマンホール 上右:住宅真裏で造成が進む 下左:中央を走るU字溝 同下:貸農園もある寺池台の住宅地 同右:廿山水源地辺りの造成地
東除川の水源地は錦織公園
東除川の水源を探検しようなどという酔狂な試みなど木っ端微塵に打ち消してしまう。1年前くらいならこの細々とした水路を辿り、谷道を登りながら水源地探検の醍醐味を味わえたのになぁ、と悔しい気持ちも湧いてくる。気を取り直しさらに上方をめざすと、外環状線と寺池台住宅街を結ぶ道路にぶつかる。その先に、子どもを連れて何度も遊びに来た錦織公園の寺池台側入り口があるではないか。廿山の谷はこの道路で断ち切られているのだが、それらの谷を繋いでいくと、廿山の谷は錦織公園の里山に繋がる。つまり、東除川の水源地は錦織公園、そういうことになる。カシミール等高線図に照らし合わせると、そのことがはっきりするのだった。
左から:外環状線からの道路、錦織公園の案内図、錦織公園入口

左:水源地探検の軌跡 右:廿山に森が残る頃の航空写真(近つ飛鳥博物館壁面)
Gマップの水路が途切れている場所から錦織公園周辺を何度も行きつ戻りつしてきたが、その苦労は報われた気もするが、一方現代の住宅開発の残酷さと向き合うことにもなってしまった。平らな造成地に家を建て、滑らかな道路を行き来していては、自然地形の複雑さを意識できないだろう。ましてや、水源地の谷を埋めた地盤の上に住んでいることに気づくことはなかろう。水源地なので地下では絶えず水は流れているはずで、山の中に大量の水を蓄えていてさらに大雨が降った時、谷の上の土砂が滑ってしまう可能性がある。大災害になっても知らないぞー。(探検日:2023.11.8)
お初にお目にかかります ひまんじんじじぃです
月参り 滝谷不動尊にお参りに 自転車やら 歩いてぶらぶらしてます
昨日 滝谷不動尊から狭山駅まで 東除川の横歩きました 急に川が現れたような気がして
帰宅して この川の源流ってどこなの? 調べたら貴殿の書き込みに辿りつきました
興味深く わかりやすく 読ませていただきました ありがとうございました
ひまんじんじじぃ 様
お便りありがとうございます。そうですね、昨日は不動産の日でしたね。私は羽曳野市に住まいしておりますが、周辺の古代からの歴史や地形が気になって、足の向くまま気の向くまま探検しておりますが、実際に出かけてみるといろいろ発見があって面白いものです。古市大溝や東高野街道なども探検していますので、よろしければ見てやってください。今後ともよろしくお願いいたします。(きたつじみのる)