太子道(筋違道)を歩く

 聖徳太子が行き来した道、つまり「太子の道」と言われる官道には二つあるという。一つは斑鳩宮から大阪府太子町の叡福寺にある聖徳太子墓へ向かう「太子葬送の道」(磯長ルート)。龍田神社前を起点とする当麻道から二上山北側を通る大坂道を行き、河内側で竹内街道と結び叡福寺に向かう斑鳩からの最短道である。もう一つが、斑鳩宮から飛鳥宮へと太子が政務のために通勤する道で、条里制で正方位に区画されたところを北西から南東へと斜めに通るため「筋違道(すじかいみち)・斜交道」とも言われる。

 前回は、亀の瀬越えで竜田道を法隆寺までやって来たが、この道も聖徳太子は行き来したであろうから、その続きで飛鳥へ向かう太子道を歩いてみようというのが今回の企てである。奈良盆地の中央を斜めに横切る道を歩くため、様々な地形と出くわすことになるが、長い歴史の中で地形により形成されてきた土地土地の風土とか人間性も感じることができれば……。そして、大和の古代史に何か新たな発見ができる旅になればと思う。

左上から右下へ:法隆寺 法隆寺2丁目 中宮寺跡 法綸寺三重塔 業平橋 高安の集落 飽波神社 神社前の太子道 東安堵の地蔵祠 高塚 聖徳太子の案山子 窪田の杵築神社 大和川と二上山を遠望 吐田の杵築神社 油掛地蔵 稲田を直進するる太子道 島の山古墳 梅戸の地蔵堂  アイキャッチ写真:聖徳太子の従者・調子丸と愛馬・黒駒の像(法隆寺)
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phk48176
古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。
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古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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