大津道を歩く

 最近は街道を歩く探検が多くなってきたが、さらにもう一つ、大津道を歩いてみたい。寒さが少し和らいだ2月のある日、その出発点とされる堺の中心地へと出かける。大津道のことを長尾街道と同じとされることが多いのだが、それらはどこまで重なり、どこが違うのか、実際に歩くことで確かめてみたい。

「難波より京に至る大道」とは

裴世清のたどった大和川ルート柏原市HPより

 「難波より京に至る大道」と言えば、難波宮より朱雀門を通り直線的に南進する「難波大道」を思い浮かべるが、推古朝の7世紀初期には難波宮は造営されていず、難波大道はもちろん、それと交差し南河内を横切る竹内街道もできていない。昨年歩いた大和における横大路と山田道については、小墾田宮へ行く道として推古朝には完成していた。また太子から大和へ入る竹内街道は既にあったとされているので、河内における大道とはどのようなものかが気になる。

渋河道

 その大道として、柏原市立歴史資料館の安村俊史館長が注目されるべきルートを提案されている。難波津から上町台地の尾根筋を南に向かい、四天王寺から南東の柏原方面の伸びる斜向道であるとされる。このルート設定には厩戸皇子(聖徳太子)が深く関わっていたとされ、斑鳩を通過するうえ、7世紀初めから前半に創建された四天王寺、渋川廃寺、船橋廃寺、衣縫廃寺、平隆寺、斑鳩寺、中宮寺、額田寺など多くの寺院が道沿いにあった。これは渋河道から大和川に沿う竜田道を行き、さらに奈良盆地を斜向する太子道を繋ぐもので、山地を越えることなく高低差が小さい最短ルートだと言える。それ以前の大和川水運ルートに沿いながら、既存拠点も活用するという、7世紀はじめとしては現実的なルートだと思える。

推古21年大道の想定ルート柏原市HPより

天智・天武朝の大津道

 孝徳天皇が大化改新(645年)の詔を発したという前期難波宮(難波名柄豊碕宮)は652年に完成した。難波大道はその後に、宮の位置から直線的に南下する道であり、推古天皇が宣下した「大道」ではないのである。今回探検する大津道、また南河内を通る竹内街道はそれ以降、7世紀後半の天智・天武朝の時代に、本格的な律令制度を施行するための統一的な国土計画に基づいて建設された官道なのである。道づくりにおいても、推古朝と天智・天武朝との間には大きな飛躍があったと言える。

丹比郡の長尾街道竹内街道

 大津道はどこまでも真直ぐな官道で、丹比郡を東進し律令時代の政治拠点の河内国府をめざした。この直線性は単に速く行けるという合理性のみからでなく、規則的に直交状に区画する土地割りである条里制を敷くためのものであり、大津道、丹比道(後の竹内街道)をその基準線としたのである。租税の原本であり国土計画の基準作りでもあったのである。

松原羽曳野市域の空撮昭和20年カシミール3D

 この平行する直線道路を基準として、規則的な条里制が敷かれ、正方形区画の水田地がどこまでも並ぶ。直線的な大道と規則的な条里制は一体的なものであり、当初から計画されたものだと言える。そのことを例外なく実施できたのが丹比の地域で、政権にとっても丹比の地は重要拠点であった。

7世紀後半以降の大和河内の古道部分岸俊男作成

中世の大津道(長尾街道)

 中世以降、国府のような国衙の存在も軽視されるようになり、庶民の葛井寺参拝の人気も相まって大きく南に曲がり藤井寺市街地を通るようになった。この時点で大津道は官道としての役割を終え、河内や大和への流通路の一つ、庶民が行き交う街道となり、その名も「長尾街道」と呼ばれるようになった。

中世以降の長尾街道ウェブ風土記藤井寺長尾街道より

 官道として整備される以前の大津道は、堺の津(港)で荷揚げされた産物・物品を河内や大和へ運ぶ道で、難波津からのルートとは別の道だった。その道は「プロト大津道」とも言えようが、官道の大津道と結ばれ、さらに重要な役割を担った。今回の探検は、7世紀後半を中心に、官道としての大津道の在り方を主に見ていくつもりだが、まずはプロト大津道として、その出発地点でもある港町・堺の古代風景と、そこから河内や大和方面と結ばれた古道を探っていきたい。

左・上から:南海高野線堺東駅前 開口神社 内川とその護岸 ザビエル公園前をちん電が走る 中・上から:菅原神社の牛 長尾街道石碑 高野線軌道を潜るトンネル 方違神社「三國丘」石碑 右・上から:JR阪和線堺駅前 堺市北区新堀町の街道 堺市と松原市の境界は難波大道だった 西除川

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phk48176

古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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