⑩富田林寺内町~錦織

 東高野街道は富田林寺内町を過ぎると、河内長野に向けラストスパート。石川河岸段丘の東縁に沿って歩き、葛城・金剛の山々に見守られながら南河内の深部に入って行く。旧国道170号線を近くに見たり遠くに見たりしながら、古い道筋を求めて歩く。錦織に入るころにはいつしか河岸段丘を下りていて、滝谷不動をめざして石川の河原を進むことになる。

富田林寺内町から錦織までの軌跡
富田林寺内町から錦織までの軌跡。

富田林寺内町から出発

 NHK朝のドラマ「カムカムエブリバディ」で有名になった杉山家住宅を一目見て出発。寺内町南西端の角に東高野街道の道標が立つ。「町中 くわえきせる、ひなわ火 無用」と彫られ、旅人に火の用心を訴えながら、道案内もしている。この一角には江戸期の風情が残っており、ひと時、股旅者になった気分になる。

 西に下る坂道に面して、今はお店になっているが、立派な町家が建っている。坂を下ったところで左に細い道が分かれていて、標識が「滝谷不動」とともに「旧東高野街道」を指示している。町外れのクネクネした細い地道を辿ると深い谷に達し、今度は坂道を登る。この谷部分の標高は55~59m、富田林寺内町は65mの高台にあり、街道は河岸段丘が作る複雑な地形を行くことになるが、谷から坂を登ったところの地名が谷川町という。

石川河岸段丘の東縁に沿う

坂を登りきると太い道と合流し、大きくカーブを切って西の方に向かう。背の高いカイヅカイブキの垣根で覆われているのが府立富田林中学・高校だった。中学時代、富高の裏側を何度か通ったことがあったが、まだ木造校舎もあったように記憶している。

 今は府内でも珍しい中高一貫校とかで、立派なビル校舎が何棟も立ってエラくスマートな学校になっている。校門と対して道を挟んだ崖下にはプールやグランドがある。ここはまさに河岸段丘の縁そのもので、石川の河原がすぐそこに見える。その崖の上の道を歩いていると、葛城と金剛の連なりが見えてくる。両山の間の低い所が水越峠で、大和側から見れば秋津洲の語源となった蜻蛉(あきつ)、つまりトンボが二羽交尾をしている姿に見え、豊穣さを表すとされる。大阪側からは生まれそうにない、ロマンあふれる名付けだ。

旧道は依然として残る

 甲田(こうだ)という地区に入って行くと、右に枝分かれした道がある。曲がりくねっていて間違いなく古街道、迷わず右へ。古い家並みがしばらく続き、街道情緒に浸れるが、そこを過ぎると新建材の戸建住宅や鉄筋のマンションが現れる。街道は左側を急崖とする段丘の縁を進むが、いつしか先ほど別れた新道と合流していて、車の往来が激しくなる。

 ややすると旧の170号線、その先の河内長野線川西駅のガードを潜ると急坂になり、まっすぐな道が住宅地に伸びる。見落としそうになるが、しばらく立ち止まっていると、左に分かれる細い道が見えてくる。こっちに違いないと歩き進むと、道は曲がりくねりながら住宅地に入って行く。この辺りも住宅開発が激しいのだろうが、新しい家が建っても旧道は依然として残っている。古い歴史を持つ集落はそこのところは頑固で、先祖からの土地だ、ということで簡単には町並みを変えたりしない、そういう「地縁」というものがあるように思う。

国道309号線に橋の街道が架かる

 誰も住まなくなった廃屋も見られるのだが、街並みが途切れたところに大きな川が流れてる?違う!谷のように掘り込んで道路が貫通しているのだ。これが大阪市内から水越峠を越え、御所の室宮山古墳前を通る国道309号線である。

 河岸段丘上の甲田と錦織(にしこり)の集落を繋いで東高野街道が通っていたが、アンダーパスになった309号線で分断され、街道があった元の位置に橋が架けられた。街道の橋の手前、甲田側に大きな屋敷がある。ヤマモモの巨木が塀から大きくはみ出し、それを鉄骨の柱が支えている。屋敷の北側には雑木林があるが、開発から取り残された、ちょっと不思議な風景でもある。

錦織から段丘を下りる

 街道でもある橋を渡り新家、さらに錦織北に入って行く。家並みの中で歯抜けになっている所があり、更地もあるが、樹木を植えたり花畑になっているところもある。その範囲を見るに、かなり大きな屋敷が続いていたことがうかがわれる。跡継ぎが途絶えたのか、住人は都会に移ってしまったのか?交通の便が悪いところでは、宅地開発されることないのだが、荒れ地にすることなくお花畑にしようというのは、町に愛情があるからこそだろう。

 錦織は古い大きな家の町並が続く。町中のクネクネした道を進むと、村とは離れる下り坂の道に分かれる所があり、その道に立つ電信柱に「東高野街道」の表示がある。今まで石川の河岸段丘上を来たのだが、ここで段丘から離れ河原の方に向かおうとしているのだ。

滝谷不動さん

 滝谷不動は日本三不動の一つといわれ、平安時代初期の創設とされるが、古代から修験道の場としても知られていた。毎月28日はお不動さんの日で、近隣の人はもちろん遠方からもたくさんの人がやって来る。石川を渡った先に滝谷不動明王寺があり、東高野街道としては石川河岸段丘上から外れてでも、街道の名所として取り入れたかった、そんなところだろうか?

 お不動さん詣りのため、近鉄線(明治35年当時は河南鉄道)も富田林から滝谷不動まで延長されたという。子どもの頃、何度も連れてもらったが、駅から寺までの坂道に数珠繋ぎの人出があり、沿道では物売りの露店が繋がっていた。祭りのように賑やかで、何かいろいろねだっていたように思う。(探検日:2022.9.29)

投稿者:

phk48176

古市古墳群まで自転車で10分、近つ飛鳥博物館まで車で15分という羽曳野市某所に住む古代史ファンです。博物館主催の展示、講演会、講座が私の考古学知識の源、それを足で確かめる探検が最大の楽しみ。大和、摂津、河内の歴史の舞台をあちこち訪ねてフェイスブックにアップします。それら書き散らしていたものを今回「生駒西麓」としてブブログにします。いろいろな意見をいただければ嬉しいです。

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