大和王権以前に葛城王朝があり、神武後、欠史8代と言われる天皇が秋津洲を中心に治めたとされる。幻の王朝が葛城一族の発展過程であり、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化までの宮と陵墓が伝説も含め史跡と認められる。神武、欠史8代天皇の跡をたどり葛城一族の原点を観ようと思う。
③葛城名神大社を巡る。
名神大社とは、「延喜式」で最も格が高い神社とされる。その名神大社が葛城地域には7社もあるが、何故この地域に集中しているのか?初期大和政権である三輪王朝に匹敵する王朝があり、国づくりにかかわる重要な歴史を持つ地域であったからではないか。今回、一言主・葛木水分・葛木御歳の各神社を巡る。
④葛城東麓の古墳群
5世紀末、雄略帝により葛城一族本流が滅ぼされ、拠点が南郷から忍海以北の葛城東麓に移った。強力な大王の一元支配の時代に入り、政権内に留まった葛城氏の活動の跡として、鉄の守護神・笛吹神社、渡来人の墳墓・二塚古墳、葛城の統治者の古墳、飯豊天皇陵・屋敷山古墳、竹ノ内街道周辺の墳墓などがる。
⑤葛上斜向道路ー葛城古道を歩く。
葛城一族が活躍した5世紀、南郷地域は鉄生産を始め大工業地として栄え、葛城と紀伊との交通の要衝でもあった。その主要幹線と推定される葛上斜向道路を御所から長柄に行き、葛城古道、国道24号線を通り、風の森峠、荒坂峠を越え五条までたどる。葛城一族の支配した形跡を確認する旅でもあった。
⑥炎天下の巨勢路を行く。
大和から紀伊の国へは、葛上斜向道路とは別に巨勢山地の東裾を行く巨勢路があった。葛城氏が衰退していく6世紀以降、なだらかな道の巨勢路tが多く利用された。曽我川に沿った僅かばかりの平野を切り開いて開発された沿道を治めたのが巨勢一族であったが、炎天下にその事績を訪ねて市尾から北宇智まで歩いた。
⑦蘇我氏の源流を訪ねて・・・葛城から飛鳥へ
葛城東麓から巨勢山地、曽我川流域は、葛城一族の勢力範囲とられる。葛城氏本宗家の滅亡後、同一族の蘇我氏が実力をつけ、権力中枢を握り、飛鳥に一大政治拠点を作る。曽我氏は葛城東端、市尾から台頭した?葛城から飛鳥を見るという逆発想で蘇我氏とは何か、源流を訪ねる探検をする。