石川から水を引き、古市古墳群の外濠をつないで古市大溝がつくられたとある。石川河岸段丘の東縁、羽曳野丘陵の東縁に沿って一定の標高(33 ~36m)を流れる。田畑は未開発だった古墳時代、灌漑用水路ではなく、何の目的で作られたのか?古市大溝の全流路を見つけながら歩き、その謎を探る。
①石川取水口を見つける
新町井関から石川河岸段丘東縁に沿って流れる古市大溝 を発見。東阪田の段丘崖下を標高36mという一定の高さを流れる。木戸山からは石川の河川敷へと流れ、河南橋辺りで石川に入る。ここが大溝の取水口で標高39mあり、3mの落差で一挙に水を流す。石川取水口から途切れることなく水を流し続ける。
②新町〜白鳥陵〜古市大溝発掘現場跡~中ノ池
新町井関から西浦、白鳥陵を回って古市大溝発掘現場跡へ。さらに仁賢天皇陵外濠である上田池・下田池をつないで中ノ池へ。石川からの水は流れの速さを変えず北方に向かい、古市古墳群の外濠を繋いで幅20mの運河とした。そこからは羽曳野丘陵東縁の崖下を行き、藤井寺へと入っていく。
③中ノ池から津堂まで
古市大溝は、藤井寺・羽曳野の市域境界でもある下田池、上田池、「へ」字の中ノ池をつないで西に曲がる。さらに高鷲、雄略帝陵近くを通り、藤井寺北小学校辺りから津堂に流れ込む。津堂とは港が集まる湖で、大溝は人・ものを運ぶ運河として古墳造営にも役立った。河川交通盛んな古墳時代の新しいイメージを描く。
④王水川をたどる
津堂へ東から流れ込む水路はどのように続いているのか。石川の取水口・王水樋を確かめるため、藤井寺市立北小学校の地下を通り、長尾街道に沿い、藤井寺の整備された水辺、さらに応神天皇陵外濠外周、誉田や碓井を流れる王水川と呼ばれる水路をたどりながら探検して行く。
⑤大乗川に沿って
古市大溝とつながるもう一本の水路・大乗川は、新町井関から出発し、東側の水守へ流れ、その後東高野街道と並行して北へ流れる。国道170号線、近鉄線を潜り、広い川幅の一級河川となり、さらに安閑天皇陵の北側を流れる。石川に近づき並行し、王水樋を通り石川本流に達し、古市大溝のネットワークを形成する。