⑥炎天下の巨勢路を行く。

大和から紀伊の国へは、葛上斜向道路とは別に巨勢山地の東裾を行く巨勢路があった。葛城氏が衰退していく6世紀以降、なだらかな道の巨勢路tが多く利用された。曽我川に沿った僅かばかりの平野を切り開いて開発された沿道を治めたのが巨勢一族であったが、炎天下にその事績を訪ねて市尾から北宇智まで歩いた。

⑦蘇我氏の源流を訪ねて・・・葛城から飛鳥へ

葛城東麓から巨勢山地、曽我川流域は、葛城一族の勢力範囲とられる。葛城氏本宗家の滅亡後、同一族の蘇我氏が実力をつけ、権力中枢を握り、飛鳥に一大政治拠点を作る。曽我氏は葛城東端、市尾から台頭した?葛城から飛鳥を見るという逆発想で蘇我氏とは何か、源流を訪ねる探検をする。