⑥炎天下の巨勢路を行く。

大和から紀伊の国へは、葛上斜向道路とは別に巨勢山地の東裾を行く巨勢路があった。葛城氏が衰退していく6世紀以降、なだらかな道の巨勢路tが多く利用された。曽我川に沿った僅かばかりの平野を切り開いて開発された沿道を治めたのが巨勢一族であったが、炎天下にその事績を訪ねて市尾から北宇智まで歩いた。