雄略陵への水路 雄略天皇陵東南隅の取水口から南へ、暗渠になっている用水路沿いに歩いて行く …
雄略以後―河内から飛鳥への道
昨年(2023年)、はびきの市民大学なるものに初めて参加したのだが、古市・百舌鳥古墳群に …
東除川は蛇行する
再び東除川に沿って歩くことになり、菅生、平尾、美原、河原城、樫山、そして恵我之荘を通って …
⑤大乗川に沿って
古市大溝とつながるもう一本の水路・大乗川は、新町井関から出発し、東側の水守へ流れ、その後東高野街道と並行して北へ流れる。国道170号線、近鉄線を潜り、広い川幅の一級河川となり、さらに安閑天皇陵の北側を流れる。石川に近づき並行し、王水樋を通り石川本流に達し、古市大溝のネットワークを形成する。
④葛城東麓の古墳群
5世紀末、雄略帝により葛城一族本流が滅ぼされ、拠点が南郷から忍海以北の葛城東麓に移った。強力な大王の一元支配の時代に入り、政権内に留まった葛城氏の活動の跡として、鉄の守護神・笛吹神社、渡来人の墳墓・二塚古墳、葛城の統治者の古墳、飯豊天皇陵・屋敷山古墳、竹ノ内街道周辺の墳墓などがる。